市民社会を目指す
国民国家ではなく、市民社会を目指したアーレントの政治理論には限界あると山本は指摘する。アーレントは公的空間を再生するために、市民的徳性をもつ「強い個人」を想定している。
しかし、問題点はこの「強い個人」を想定することで、格差を拡大するネオ・リベラリズムイデオロギーと親和性を持ち、格差拡大の中で、上層市民=アッパー・クラスのみ資源が分配されてしまい、「強い個人」=市民を想定する市民社会は、そのような市民をどう育成するのかという観点が欠落しているというのだ。
アーレントは革命という「例外状態」で公共空間の再生を考えたのだが、そうではない日常実践の中での活動的空間の再生では「強い個人」を想定しなくてもよい社会をかえていくプロジェクトが必要だとしている。